| ◆ グ ッ チ 物 語 ◆ |
|
パリやイギリスを渡り歩いて、洗練された都市の文化や美を学び、高級革製品についての知識と独自のビジョンを養っていったグッチオ・グッチは、40歳の時、生まれ故郷イタリアのフィレンツェのヴィーニャ・ヌォーヴァ通りに旅行鞄や馬具を取り扱う皮革製品店を創業します。
高い技術を持つ革職人を集めて作り出した革製品は、その品質の良さがおおいにウケ、創業から時を待たずして、たちまち大評判の店になりました。
そしてイタリア訪問中のエリザベス2世が同店を訪問した時、女王の付き人に「何か陛下にプレゼントを」と進言(というか催促)され、鞄を進呈し、女王一行が去った後、報道陣がまだ居るにもかかわらず「金も払わん乞食はもう来るな」と発言したという、逸話が残っています。
このようなエキセントリックな言動が、逆に、職人からは信頼され、 グッチオも職人を愛していました。
|
1921 |
グッチオは子宝にも恵まれ6人の子供を育てます。
中でも三男アルド・グッチは、グッチ二代目の座を引き継ぎ、卓越した手腕で世界的なブランドへと成長させていきます。
その第一歩として、首都ローマに出店しました。
また、アルドは自社のバッグにマークをつけるため、自らデザインを引き、いわゆる、GGマークを完成させ、(GGマークはグッチオ・グッチのイニシャルGを組み合わせたもの)、世界で初めてデザイナーの名前を入れて商品を販売し、ブランド商品の元祖となったのです。
そんななか1935年から1936年にかけてイタリア王国とエチオピア帝国の戦争が勃発。
イタリアは国連による経済制裁で、他国との貿易を禁止されてしまいます。
こうして皮革の入手が困難となったグッチの経営はたちまち危機に瀕します。
|
1938 |
そこでグッチオとアルドは、確保していた原皮を減らさないために、皮革以外の素材をミックスして製品を作ることを考えました。
この時に生まれたのが、竹と革を組み合わせた「バンブーバッグ」です。
|
1947 |
1950年代に入ると、グッチのトレードマークとも言える、ウェビング・ストライプのバッグや、メタル・ビットのモカシンなど、馬具のモチーフを取り入れた代表作を次々に生み出します。
53年、ニューヨーク店オープンの年、グッチオ・グッチが死去。
グッチオの死後、彼の息子ヴァスコ、アルド、ユーゴ、ロドルフの4人が家業に携わることになります。
そして、ローマ・ニューヨーク・ロンドン・パリと次々に大都市への出店の成功とは裏腹に、グッチ家の内紛が表面化してしまい、事業の相続や保有株、店舗運営などでの問題で、家族の間で揉めごとが頻発します。
|
1953 |
香港や東京といったアジア展開を開始し、70年代終盤には、世界的な高級ブランドとして絶頂期を迎えます。
|
60年〜70年代 |
問題だったグッチ家内紛をきっかけに、破産寸前まで経営状態が悪化してしまいます。
|
80年代 |
失墜したかに思われたグッチ・ブランドに再び光が差し込みます。
ドーン・メローがクリエイティブ・ディレクターに、さらにドメニコ・デ・ソーレがグッチ・グループの社長に就任したことにより、新たな経営陣による再建が始まりました。
|
1989 |
さらにはトム・フォードが、クリエイティブ・ディレクターに就任。
|
1994 |
ミラノコレクションでは、シルクのシャツやベルベットパンツなど、グッチの絶頂期(70年代)を思い起こさせる、シックでエレガントなウェアを発表します。
このコレクションで大成功を収めたトム・フォードの新生グッチは、世界中のセレブレティの目を引き戻し、マドンナやグウィネス・パルトロウなどハリウッドスターからの依頼が殺到し、世界のトップブランドとしての地位を再び獲得しました。
|
1995 |
ドメニコ・デ・ソーレ、トム・フォードともにグッチを去り、現在はフリーダ・ジャンニーニがクリエイティブディレクターとして活躍しています。
|
2003 |