| ◆ シ ャ ネ ル 物 語 ◆ |
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フランス中南部オーベルニュ地方の教会の救済院で生まれたココ・シャネルことガブリエル・シャネルは、18歳でムーランのノートルダム修道院の寄宿生になるまでは、どんな夢や欲望も想像の中だけで満たさなければならない、とても貧しい少女でした。
そんななかでも少女シャネルは、強い精神で、美しく、大人の女に成長していきます。 |
1883 |
その美貌とあふれる才能で、経済力に富む男たちの保護を受け、初めてのお店となる 「シャネル・モード」 という帽子屋を、パリ・カンボン通り21番地にスタートしました。
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1910 |
第一次世界大戦が始まるとシャネルは戦争を避け、フランス北西部ノルマンディ地方ドーヴィルに移り住みます。
そして同じくパリから疎開してきたセレブな女性たち向けに、安いジャージ素材を使ったシンプルで着心地がよくて、かつ革新的なデザインの服を作りました。
シルクと宝石で着飾っていた上流社会の女性達に、当時は馬の世話をする人が着る素材だったジャージ素材で作ったシュミーズドレスは、大きな話題を呼び、米・『ハーパーズバザー』誌に、「魅力的なシュミーズドレス」として掲載されます。
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1914 |
続けてフランス南西部アキテーヌ地方ビアリッツに、本格的なクチュールのブティックをオープン。
また、パリ・カンボン通りの帽子店もクチュールの店に切り替えます。
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1916 |
21年にはカンボン通り31番地へとブティックを拡張し、最初の香水となる「シャネル No.5」を発表。
翌22年に「シャネル No.22」を発表、そして24年にはシャネルの香水を扱う、パルファンシャネル社を創立し社長に就任します。
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1921 |
続いて「ガーディニア」(1925)、「ポワ デ ジル」(1926)、「キュイール ドゥ リュシー」(1927)、「シコモール」 「ユンニデ」(1930)、「ジャスミン」(1932)を発表)
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1924 |
その後も、喪服でしか使われなかった黒い服を「リトル・ブラック・ドレス」として発表したり、
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1926 |
ツイードで仕立てた初めての紳士物のスーツを発表して話題となりました。
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1928 |
スポーティーな服にふんだんにゴールドやストーンのアクセサリーを取り入れることによって、着る人の個性を引き出し、より独創的な着こなしを楽しめることが、
車などの移動手段が発達し始めて、戸外で活動する機会が増えた女性のハートをがっちり掴み、シャネル人気は絶大なものとなりました。
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1930 |
| またまた、映画スターの衣装を製作するためハリウッドと契約するなど、まさに黄金期を迎えるのです。 |
1935 |
| しかし、第二次世界大戦が勃発。香水とアクセサリーのブティック以外の全店を閉鎖。 |
1939 |
| そして終戦、ナチスドイツによるフランス占領中に、シャネルはドイツ軍将校と愛人関係にあったため、連合軍によるフランス解放とともにスイスへの逃亡を余儀なくされます。 |
1945 |
| それから10年の沈黙の後、シャネルは再びカンボン通り31番地にクチュールのメゾンをオープンし、クチュール界へのカムバックを果たします。 |
1954 |
| その翌年の55年には「20世紀の最も偉大なクリエーター」としてモード・オスカー賞を授与。 |
1955 |
| 香水「シャネルNo.19」発表。 |
1970 |
| 1月10日、住まいを構えていたパリ・オテルリッツでシャネル死去。享年87歳。スイス・ローザンヌの墓地に埋葬されました。 |
1971 |
カール・ラガーフェルドがシャネルのコレクションを担当する主任デザイナーに就任し、パリ・アヴェニューモンテーニュ42番地にシャネルの2番目となるブティックをオープンします。
以後現在に至るまで、オートクチュールとプレタポルテ、化粧品、男性用オードトワレ、ジュエリー、ウォッチに至るまで、幅広いアイテムで大きな成功を収めています。 |
1983 |
| 日本最大の売り場面積を誇る東京・表参道店をオープン。 |
2001 |
| 12月、銀座3丁目に銀座シャネルビル・旗艦店をオープン。 |
2004 |